2007/03/05

鎌倉 鶴岡八幡宮




 源頼朝がこの高台に社殿を造ったときは、すでに平家は滅亡し、奥州藤原氏も討伐し全国60余州を平定したときであった。翌年には征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期だった。鎌倉はこの頃既に、京都と並んで政治文化の中心となっており、頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた。以来鶴岡八幡宮は鎌倉のシンボルであり、幕府の儀式、行事は全てここを中心に行われた。
 舞殿は入母屋つくりの建物。頼朝に命ぜられて「吉野山みねの白雪ふみわけて いりにし入りのあとぞ悲しき」と義経を慕う歌を詠み舞った静御前は頼朝の怒りをかり義経の子と自らの命を失う悲劇がうまれた悲しい逸話が残っている。華やかな八幡宮は友引のこの日二組の結婚式があり、にぎわいを増していた。

4 comments:

勿忘草 said...

写真がとてもきれいだね。
歴史のことも勉強勉強できます。
ありがとう。

yosiko koko said...

素敵な旅ができていいですね。ブログのお陰で家にいて楽しませて頂いています。
写真も美しく又歴史のことも詳しく書いて下さり勉強になり喜びが倍増してきます。

ちょろ said...

もう花が満開ですね!
本当に素敵な旅。いいなぁ・・・
京都のときもそうでしたが、今回もこのブログで旅した気分にさせてもらっています。

Anonymous said...

鎌倉の旅!!

鶴岡八幡宮の近くに
おいしい納豆やさんが
あるんですよ